livingroom diary

愛されるアラカンをめざしてw

「ラストエンペラー」The Last Emperor(1987)


映画「ラストエンペラー」日本版劇場予告
近いようで遠い国、中国の前・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(ふぎ)の物語。
もう古い映画になってしまいましたね。


西洋の描く東洋の映画を見ていると、


「東洋を何だと思ってんねんwww」


て事がよくありますが、多分少し前に「47RONIN」を見たせいかもしれません。
アレは「東洋なんちゃってハラキリファンタジー」だったので、全編ネタだったのですが(それでも、真田広之の剣戟はすごかった!)、世界的大ヒット、アカデミー賞総なめしたと言われたこの映画を見ていても


「東洋を何だと思てんねんww」


と、こと溥儀の回想シーン、まだ清朝がなくなる前の紫禁城での光景は、やはり西洋から見た東洋の異質、異様さばかり強調されているように思えました。最初は収容所に入れられるところから映画が始まって、その間あいだに溥儀の記憶として幼い頃からの場面が入って来る、という展開です。


まあ、疎い私でも辮髪や纏足、宦官とかは異質に感じますし、もしこれが江戸時代を描いたものだったら、わざわざ髪の一部を剃って、一部を伸ばして糊みたいなものでガチガチに固めていたりとか、同じように異様に映るんでしょうね。


でも、描いたのがハリウッド映画という事もあってか、「日本」とか「中国」の東洋当事国とは違う第三者目線で描いてくれたのは良かったと思います。ちょっと上から目線なのは気になりますが。


最近はそうでもなくなりましたが、太平洋戦争辺りを描いた映画はどの国のものにせよ割と避けていました。どうせナチスと関東軍が悪いんでしょ。みたいな。まあ悪いというか、悲劇なんですが。



私の祖父は戦没者で、父は父のことはほとんど記憶にないらしいのですが、元々貧乏家庭だったのに、戦時中に父親を失った事で、中卒で働きに出ざるを得なくなった父としては戦争そのものや、戦争被害をことさらに訴える人たちが大嫌いで、テレビでその手の報道があるたびに怒り狂っていました。


なぜ子供の私が、父から「日本人だって、家族を亡くしたりひどい目に遭った人もたくさんいるんだ、人や国が悪いんじゃない、戦争が悪いんだ」としょっちゅう繰り…いや、説教をされなければならなかったのか、と思うと、単にテレビの前から逃げれば良かっただけの話だったんですが、そんなのもあって、気持ちがモヤモヤするのが嫌だったんですね。歴史は好きでも近代史は苦手でした。


でも、私もイイ年になったのもあって、何でも見ておこうという感じになり、放映があるのを知って録画はしてましたが、映画自体の長さもあってなかなか見る気になれませんでした。今は普通に見てますが、やはり進んでは見ませんね。邦画にしても、変に美化されるのも馴染まないし、さりとて自虐に走られても嫌な感じだし。


歴史のモヤモヤはさておき、ジョン・ローンがイケメン!v
最期の方の、ジジイになった姿までイケメンでした。孤独で寂しそうな顔のまた良い事。

だいぶ西洋慣れして、紫禁城の中庭でテニスをしていたら紫禁城から追い出される事に…

捕虜になって下着姿でもイケメンです。


若い頃として子役も出て来るのですが、大きくなった少年溥儀の役者が本当のジョン・ローンの若い頃では…と思うほど似てました。

そういや、嫁もらっての初夜でチュッチュされるのもジョン・ローンじゃなくてこの子の方でしたね。

いや、どうなのよコレwこの後嫁の頬もキス跡?で赤くなってるんですがどういう事…


他にも、割と大きくなってからも乳母のおっぱい吸っていたり、正妻と第二夫人で3人でベッドで戯れたり、溥儀とは不仲になってしまった正妻が、積極的な川島芳子とレズビアンみたいになったりとエロい描写がちょくちょく入りますが、まあ…監督の趣味なんでしょうかね。


坂本龍一も、重要な役で出るには出ていたのですが、ほとんど喋らないし、喋ればいきなりキレる役なので、不気味なだけであまり存在感なかったですかね…そういえば、昔YMOのアルバムで、3人がコントをやる音声が入ってましたが、坂本さんは芝居苦手そうだなぁ、と思った記憶が。

YMO SET まとめ②
懐かしい。細野さんが一番声が良いし味が出てた。


日本軍占領の後、溥儀は更生施設で怒鳴られたりいやがらせされたりしているのですが、日本が戦争時に行った残虐行為や特攻の映像を見て、自分の血脈だった満州に国を建てたい、という野望が、結果的に日本に利用されて家族や周囲の人間、たくさんの人を死なせたと自覚して落ち込んでいる溥儀に、収容所の所長がこう声をかけます。


「日本軍が人体実験をしているなどと、あなたは知らなかったはずだ。反省するのは自分が行った行為に対してだけで良い。あなたは、自分が人より優れていると思い込んで生きて来て、今度は自分は最低だと言う」


それに対し、すっかり鬱屈した溥儀が


「なぜ自分に構うんだ?利用価値があるからか?」


と捨て鉢に言うのに対して、


「利用価値があるのは、そんなに悪い事なのか?」


と所長は応じます。


この会話のオチはないのですが、その後、模範生として釈放される事になり、所長から、私の方が長くここにいる事になってしまった、と笑顔で言われ、握手を交わすので、溥儀は所長から何かを学んだという事なのでしょうか。私は結構このやり取りが意外でした。


英国人の家庭教師が溥儀について書いた本を読んでいた所長が、溥儀の事をいつしか親しみとか尊敬の念とかを持つようになっていた、という事なのだろうと思いますが、それにしては、それほどには溥儀を許容していなかったようにも見えていたので。


その後、時代は変わって文化大革命になり、その収容所所長が見せしめに紅衛兵たちに引き回されているのを見て、溥儀は驚いて庇おうとするのですが、溥儀自身も既に老人であり、溥儀が皇帝であった事など誰も知りません。諦めて項垂れている元所長、若い紅衛兵に突き飛ばされて倒れる溥儀に誰も目もくれません。紅衛兵は赤い旗、札を持って行進し、時折女性紅衛兵たちが街角で発揚のために歌ったり踊ったりしています。形は変われど、溥儀の時代に貴人の死、祝い事のたびに女官や宦官たちが歌や楽器で音楽を奏でたように。


最後、溥儀は紫禁城の最奥、乾清宮に入ろうとして見張りの子供に咎められ、昔はここに座っていたんだよと言い、証拠があるの?と言われて、溥儀は笑顔で台座に上がり、玉座の奥に手を突っ込んで、昔コオロギが入った小さな壺を仕舞っていたのを取り出して、子供に与えます。


子供が壺を見て驚き、しばし眺めた後に溥儀を見上げようとすると、そこにはもう溥儀の姿はなく、開門の時間が来て多くの観光客が入って来て、映画は終わります。


この終わり方がなかなかスマートですが、この最後の場面は設定が1967年と出ていて、溥儀の没年でした。



元々中国大陸は小さな国が群雄割拠して、国境を引き直すために戦争とクーデターが繰り返され、暗殺、虐殺が繰り返されて来た土地という認識です。中国に限らず、欧州もそうであったわけで、中国王家を追われた溥儀に手を差し伸べたのが日本でした(家庭教師がいた英国にも、庇護を断られていたそうな)。


アジアに限らず、西洋でも追われた王家を戦略的に庇護して奉ったり、政略結婚、支配下への略奪や暴虐は人類の歴史であり、未だにそれが現在進行形で行われている国も多くあり、人間の業を感じます。


あまり突っ込むと政治的発言になってしまうので止めておきますが、30年前の映画であっても、西洋から見た中国の印象は今もあまり変わっていないように思えました。英国人教師がピーター・オトゥールで、彼は囚われの身である溥儀に同情して、外の世界を教えたり、宦官から禁止されている自転車を与えたりして、よき先生として描かれていますが、私には西洋人が東洋人にしてきた「野蛮で後進の国に、自分たちの素晴らしい文化を教えてやる」的な印象を受けたり…


でも、実際は洋服とか、民主主義とか、西洋の人の言う「平等」とか「自由」というのは、今の世界で主権を得ているのは、楽だったり、理に適っていたり、という事なのでしょうかね。