livingroom diary

愛されるアラカンをめざしてw

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 The Imitation Game (2014)

2018-7-17の日記(ブログ)より転載、推敲

確かこれはGYAO!での無料配信で見ました。


私はドキュメンタリー、中でも理系・宇宙などのSFネタ、近代史ネタのドキュメンタリーが好きで、モノによってはどんな優秀な映画が、映像美、神構成、豪華キャストで作られたとしても、本物の映像だけが持つ説得力が上回るところが好きです。もちろん、ドキュメンタリーも映像だけ並べて、テキトーな結論づけをしたり、放映側の意図するところへ強引に持って行こうとする「良くない」ものもあるとは思います。


アラン・チューリングという数学者もそんなドキュメンタリーで知った名前で、確か数学のミレニアム懸賞問題を特集していて、細かい事は忘れてしまったのだがその問題に触れつつ、例えば「最大素数を見つけるとはどういうことか」など、映像つきで素人にもわかりやすく解説してくれて面白い番組でした。


多分これだと思うけど前後に同じシリーズの番組があったのでそっちかも
NHKスペシャル 魔性の難問 リーマン予想・天才たちの闘い

チューリングは人工知能・AIの仕組みも予言、というか本気で作ろうと考えていた人らしく、昨年一旦終了してしまった「フランケンシュタインの誘惑」(この番組も大好きで大体見てた)のAI特集でも名前が挙がっていたと思う。ただ、功績自体はナチスの暗号「エニグマ」を解読し、祖国英国をナチスの恐怖から救ったということがメインらしい。


(後述:今また新シリーズやってます!明日じゃん!!)


そんな理系近代史+「シャーロック」のベネディクト・カンバーバッチ主演ということで、楽しく見ました。

一言でいうと、「戦時中版/ジョンのいない『シャーロック』」だった。笑


不満は全くないんですが、ナチス暗号の謎解きや、仲間にスパイがいる?と思う時のひらめき方が


「○○…?いや、でもそうだ、間違いない!」


みたいな感じでシャーロック。


日本語吹き替えも「シャーロック」と同じ三上哲さんだったので、字幕版見てから吹き替え版も見たら、よりシャーロックだった(笑)。好きだから吹き替えも見たんですよ。


「シャーロック」は初回放送をたまたま見てました。衝撃的に面白くて、以降毎回新シリーズの放映を楽しみに待っていました。もう終わってしまったようですが、人気になればなるほどシリーズが伸び、後づけ設定が増え、新しい役が設定され、誰おま状態という人気ドラマ(スーパーナch…(ry)のよくあるパターンと一線を画して綺麗に終わって、名作ドラマの殿堂入り確定という感じがしました。


繰り返し再放送もされたので、そのうち次女までハマって一緒に見て、萌え語りをし、英語学習用に書かれたコミック版を欲しがったので買ったり。そんな次女と私の感想は「実はベネさん(シャーロック)よりジョンが良い」


この映画では、シャーロックが奇行と思われようと突っ走るのにオロオロしたり、引き止めたり、時にはツッコミを入れたりという相方がいないのですごく物足りないです。天才的ボケもツッコミがいて名コンビになる(言い方)。


ただ、そんなシャーロ…いや、アランが寂しそうなので、孤独さが際立って良かったかもしれません。
スタッフの紅一点で、奥さん(キーラ・ナイトレイ)もいるんですが、馴れ初めも本当に好き?みたいな微妙な含みがあって、奥さんもチューリングを尊敬して天才だと思ってるんだけど、変な距離感があるように私には感じられました。これは、アランが実は同性愛者であったというネタがあり、私は上のドキュメンタリーでそれを知っていたからかもしれませんが。


時間的にも内容の割に短めで、サクサクと話が進んでしまうので、1回見ただけでは細部がわからない映画だったかもしれません。私は吹替版と2回見たわけですが、吹替は声を聞くために見てたようなものでやっぱりわかってないような気がする…


個人的には、ドキュメンタリーで紹介されていたチューリングの写真はもっと内気というか、「声をかけないとずっと機械に向かってそうなオタク」のイメージで、英国人の伝説を映画化するならやっぱり英国役者、超人気者のカンバーバッチいてこその映画になったとは思います。この映画のチューリングは変人なんだけどオタクじゃないんだよなぁ…やっぱり「シャーロック」でした。うん。


チューリングのAI提言も、実は学生時代の親友(その人に恋情を抱いていたという説があるらしい)が病死してから蘇らせるために、彼を再現させるためにAI開発を本気で考えていたらしいと言われていました。
同性愛表現についても、映画でどうなるのかと思ってましたが想像以上にソフトというか、最後の最後にセリフで贖罪(当時は同性愛は刑法上で罪)のために薬物治療を強いられていることや、ほんのりした回想で学生時代の親友と仲良く話している光景を懐かしむ…程度だったように思います。


この手の映画でカンバーバッチのBLエロ場面とか望んでもいませんし、天才的数学者がスパイの妨害にも負けず解読を成功させたという逸話だけで十分スリリングなストーリーですが、ちょこちょこ「変わり者」である中にどうやら同性愛者らしい、という表現が匂わす程度に入るのが、逆に思わせぶりで、最後に性癖についてすごいバレが来るのかと身構えてましたがそんなことはなかった。


しかし、この映画でのチューリングの同性愛指向については、近年のLGBT差別解消活動におおいに取り上げられたらしく、話題になったそうです。


別な話になりますがwikiに、映画の中で描かれた事について論争があったとかで、脚本家がそれについて語ったという話が面白かったので引用。

2015年1月、脚本家のムーアは『ハフィントン・ポスト』で映画の歴史的整合性に関する批判について「ある映画を語るときに『ファクトチェック』という言葉を使うのであれば、その人は何というかアートの仕組みを根本的に誤解している。モネの『睡蓮』をファクトチェックする人はいない。睡蓮はそう見えない、睡蓮はそんな感覚じゃない。でもそれが作品のゴールなんだ」と述べた。同じインタビューでティルドゥムは次のように語っている。「歴史映画はたまにウィキペディアの記事を読んでいるように感じられる。『彼はああして、こうして、そしてこうしました』と暗唱して、まるでヒット曲のコンピレーションみたいだ。我々は映画を劇的で情熱的にしようとした。我々が目指したのは、ゴールは、アラン・チューリングはどんな人か、彼の人生はどんな感じか、アラン・チューリングになるとどんな感じか、というのを届けることだ。彼の人生を通じて、観客に『アラン・チューリングらしさ』を体験させることができるだろうか、と」

wikipedia イミテーション・ゲーム#論争

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 - Wikipedia


チューリングは近代の人なので生き証人が健在であれこれ違う、という論争があったらしくそれを受けて脚本家が語った事だそうです。


実際の人の一生には、wikiのような一次元だけで語れる以外にも色々な側面があると思うし、トリビアまで全部盛り込んで物語で描くとしたら、皆性格破綻者になっちゃうとは思います。
それくらい人間は複雑だし、でもそれをわかってる上で二次元的にキャラづけがされて物語になって、ぶっちゃけ嘘だらけのキャラクター設定になるんですが、複雑な人間たちの一瞬の事実だけは本当だったりして、その感動を作るために物語は作られるのかもしれません。


逆説的にwikiが全部正しいとは限らない、という話もまた別にありますが、マニアほど「真実」以外を受け入れられないとか、すごく人気作ほど「元ネタがあるのに」とか「正直パクリじゃないの?元の方がもっと評価されていいはず」って不満を誰しも持ってしまうものかと。私もまあよくありますが、色々考えさせられ、ちょっぴり反省しました。


もう1回見ておきたい映画かも。これと、「ビューティフル・マインド」は数学史関連映画として大好きです。あっちはアッと言わせる壮大なサプライズがあるので、二度と初見の驚きは味わえないと思いますが。面白いよ~。