livingroom diary

愛されるアラカンをめざしてw

「若草の頃」(1944)  Meet me in St.Louis

やっと見られました。長らく、歌唱部分を動画で見たりしていたのみでしたが、映画全体が長そうだったので、なかなか録画に手をつけられなかった(そっちの都合かい)。


ジュディ・ガーランドの絶頂期の映画と言っていいと思います。公開時ジュディは22歳(役柄はもう少し年下の様子)、この映画の監督のヴィンセント・ミネリと結婚、その間に生まれたのがライザ・ミネリというのは有名な話ですが、華やかな映画界で溢れる才能を弾けさせていたジュディの私生活は不安定で脆いものだった事は、何度もドラマやら映画になったりで、今やそっちの方で名を残してしまっている感がありますが、この時は私生活でもひと時の幸せがあったのではないでしょうか。


そーいえば「ジュディ・虹の彼方に」見てないんですよね…
レネー・ゼルウィガー割と好きなんですが…しかしいつも何で体当たりなんだろうね…体当たり女優か…
私はジュディ・デイヴィスが演じたテレビドラマの方でお腹一杯、ジュディ本人の素晴らしい動画が山ほどあるからそっちを見る方がいいです…


リアル世界では新型コロナの勢いが止まる様子がない中、昨日はアメリカ議会に市民が乱入して大騒ぎと混乱の一日でした。個人的にも、ステイホームを守らざるを得ず、受験を控えた子供がいて、いよいよ始まる受験シーズンをどう無事に乗り切れるのか悩みながら、直前模試へ出かける子供を不安いっぱいで毎日送っています。また、子供たちは若いので、知らず知らずのうちに私や夫が感染してしまうかもしれない、離れて暮らしている親の事も心配だし、感染対策はしているつもりでも、今年の年末はおろか、春にはどうなっているんだろう、夏場に無事でいられるのだろうか、いつか、大変だったけどおさまって良かったねと笑える日が来るのか…何一つ想像も出来なければ、確信が持てるような話もありません。


アメリカも、大統領選挙前から不穏なムードで、ネット情報戦やら、BLM、LGBTの話が過熱して、とても「平和的なデモ」とは思えない光景が繰り広げられ、それらを見ているうちに、アメリカ映画好きだった私の中で、この国のどこが素敵と思ったんだろう、どこに憧れていたんだろう?という疑問が湧いてしまいました。


とりあえず考えるのは止めて、今日は時間のかかる単純作業があったので、それをしながら録画を消化していたところ、映画の途中途中で気がついたら涙腺が緩んだりし、最後映画が終わって、何やらわけのわからない涙が出てしまいました。


映画公開は1944年ですが、映画中の世界は1902年から始まり、1904年に開催されたセント・ルイスの万国博覧会で終わります。元々、万博の広報も兼ねて制作されたのかもしれませんが、長くなってしまうので想像するのみにとどめます。ただ、この時代の万博というのは世界でも大変なイベントだったようで、同時にオリンピックも開催されているのですが、この時代は万博>オリンピックだったと、とあるサイトで解説されていたのを読みました。


アメリカは南北戦争、インディアン紛争を終えて工業化が進んでいた時代です。場所は「中西部」、映画の中でもこの西部の人は…などと言い、東部ニューヨークを何かと意識していて、長女ローズの恋敵を「東部の女」と呼んだりしているのですが、

言うて西部とは思えんw が、アメリカ的には「東部」というのは本当に東部の海沿いの州なのかもですね。


主演エスター役のジュディ・ガーランドは、久々に見ると「やっぱり美人と言うには微妙…」と、つい思ってしまったのですが、ひとたび歌い出すと説得力ありすぎて、うんそうだね、年頃の美少女が隣の男の子に恋する乙女だよね頑張ってね、と応援してしまいます。あとは、いつも思う事ですが表情が豊かで魅力的です。ぼーっとしている正面顔は「やっぱ目離れてんなぁ…」と思っていると、にっこり笑うと可愛らしい。あと横顔も美人だなぁと思います。褒めてるんだか。
個人的には、エスターの姉、四姉妹の長女ローズが美人のルシル・ブレマーだったのを知らなくて、彼女の映画というと「ジーグフェルド・フォーリーズ」でのダンサーで一言も喋らない場面しか知らなかったので、生き生きと芝居しているのが見られて嬉しかったですね。独特の流し目、妖艶な微笑みが「美人なのに性格がキツくていき遅れてる娘」というコミカルな役柄にぴったりでしたw


映画のミュージカルシーンは「トロリーソング」や、"Have yourself a merry little chrismas"など、有名なものが多く、舞踏会を含めたダンス場面も楽しいですが、ジュディとルシルの姉妹で歌う場面が無邪気で可愛いです。


こんな歌とピアノが上手い美人姉妹に最後「うるさい!」と叱っているのはパパです。


これ、映画の中では二人とも湯上りで、妙な恰好をしてるなと思ったのですが、おそらく下着に着物をガウン代わりに羽織ってるみたいですね。1900年のアメリカにそんな風習があったのか調べてないですが、この時代の映画の中で、着物をガウンの代わりにするのはちらほら見かけます。たぶん「お行儀が悪い」という事なんでしょうね。


行儀が悪いと言えば、冒頭登場人物たちがそれぞれトマトのスープを味見して、薄いだの、甘いだの、濃いだのと勝手な事を言う場面があり、それが人物紹介みたいになっているのですが、日本ではお玉から直接味見するのはまさに「行儀が悪い」とされているので、無邪気なもんですなwといきなり微笑ましい場面でした。


ルシル・ブレマーが吹き替えとは思えないピアノの手つきに見えますが、この頃のミュージカルスターって普通に歌も歌えて、演奏出来たりする人多いですよね…そういうところはさすがショービズの国、層の厚さを感じます。


姉妹の上に長男・ロンが一人いて、下には幼い妹二人がいます。ロンはもはや集団歌要員と、最後のパーティーの数合わせかってくらい影が薄いのですが、三女のアグネスもやや影が薄くなってしまうのは、末っ子のトゥイティーがこの映画ではやはり有名なマーガレット・オブライエンだったからでしょう。当時はもう有名だったのか、キャスト一覧もジュディの次にクレジットされてます。(画像省略)


トゥイティーは、氷屋のおじさんと仲が良く、そこから学んだのか飲んだくれ男の歌を歌ったり、庭に埋めた人形の話をしたり、ハロウィーンでは悪魔になり切ってみたり、割とよくいるマセガキなところが可愛い。芦田愛菜並みの完璧な幼女っぷり。いや芦田愛菜が名子役の歴史の流れの端にいるのか。


子役が何とか存在感を残そうとアピールするのって実はあまり好きじゃないのですが、おしゃまさに嫌味がなく、映画の中でも困った事をしても、しょうがないなぁ~と家族がみな許してしまうのに説得力ある可愛さです。


有名な、というか映画のミュージカルシーンを繋いだThat's Entertainemntシリーズの中で歌われる、ジュディのHave yourself a merry little Christmasのシーンで、なぜか二人とも悲しげで、トゥイティーは涙を浮かべていたので、映画の中でどういう状態になっているのだろう、とずっと思っていました。


パパは勤務弁護士で、セント・ルイスからニューヨーク事務所の所長に任命され、クリスマスを過ごしたら年末には引っ越しをする予定、という設定なんですね。パパの栄転に喜んでいいはずなのに、家族はセント・ルイスの地が大好きなのです。パパがサプライズとして嬉しそうにその話をした時、四姉妹は泣き出し、従順なママでさえ戸惑ってしまいます。


メイドのおばさん、ケイティが作ってくれたハロウィーンのケーキをパパが切り分けて渡すのを受け取らなかったり、後で食べるとにべもなくそっぽを向かれて、皆いなくなってしまい…パパは「なんだ、私は悪者か」と怒り半分、寂しげにリビングでケーキを突いていると、一度は奥へ行っていたママが、ピアノを弾き出します。


「久しぶりだな」と、二人で思い出の曲?を歌いだす両親がいるリビングへ、四姉妹たちがパパが切り分けたケーキの皿を持って、それぞれソファやテーブルに座って無言で食べ始めます。これが、それぞれの友達や仲間と別れる事を決意してパパママについて行くことを決めた象徴となり、結局この家族が好き、パパママが大好き。そんな演出が秀逸でした。


そしてクリスマスの当日。



Meet Me In St. Louis (1944) – Judy Garland – Have Yourself A Merry Little Christmas


動画の冒頭で、庭にたくさん雪だるまが作られていますが、この日の朝、長男・長女がそれぞれ、クリスマスパーティーの相手にフラれて、それをジュディはじめ他の姉妹が冷やかしたりして、長男と長女がペアとしてパーティに参加する事が決まります。


ジュディは隣人のイケメンと恋仲になっているのですが、当日仕立て屋に頼んだタキシードが間に合わず、泣き崩れるエスターに、おじいちゃんが古いタキシードを引っ張り出してエスコートしてくれます。


長男・ロンのダンスを断っていた「東部の女」ルシルは、実はロンの事が好きで、ローズと相思相愛なのにうまく心が通っていなかったウォーレンを伴っていて、パーティーの場でお互いのパートナーを交換します。(この辺り、ルシルの機転だったのか、ロンとローズのスミス家の兄弟が鈍だったのかよくわかってませんw)エスターの相手ジョンも、タキシードを着て現れ、クリスマスパーティーの後にエスターにプロポーズします。嬉しくて泣いてしまうエスターですが、ニューヨークへの引っ越しは目の前、恋人と家族の選択に戸惑い、遠距離恋愛を提案した後、答えをあいまいにして帰宅すると、引っ越したらもうサンタクロースは来られないと悲しげな顔をして窓辺に座っているトゥイティーに、自分の迷う気持ちを重ねて歌うのがこの場面でした。


トゥイティーはこの後世に残る名曲、名歌唱を聴いても心休まるどころか、ブチ切れて庭に駆け下り、みんなで作った雪だるまを片っ端から破壊します(笑)ニューヨークに持っていけないのなら全部壊してやる、と泣き叫ぶトゥイティーをなだめるエスター。


それを見ていたパパは、葉巻に火をつけてしばし考え込んだ後、ふと閃いて家族を寝室から呼び出します。
「よく考えたら、来年万博が開催されるこのセントルイスの方が先は明るいじゃないか。ニューヨークなどに行かなくてもいいんだ。」


喜ぶ家族。と、いきなりドアが開いて、ローズの想い人のウォーレンが勇ましく入って来て、怒ったようにローズにプロポーズして出て行き、家族はあっけにとられます。
そして翌年、セントルイス万国博覧会にスミス一家は揃って出かけ、華やかな夜景にそれぞれ心をときめかせるのでした。




…その頃アメリカは世界各地に軍事的に進出して10年後は第一次世界大戦だがな…(台無し)



この映画を見ていて、思わず涙腺が緩んでしまったのは、大統領選に関する運動でアメリカが揺れに揺れ、今なら人種差別やらジェンダーなどの「差別」というポリコレを指摘されそうな部分が満載で、極東の日本には遠い話と思いながらも燃えるアメリカの姿にストレスを感じていたのだろうと思います。


と言っても、そもそもこの時代の映画に黒人は出られなかった事(メイなど下働きを除く)は、差別問題が出る前から戦後は繰り返し語られて来た事で、メイドのケイティ、氷売りのおじさんが白人な時点で今ならアウトかもしれません。


加えて家長父権がまだアメリカでも強かった時代を、更にポリコレのハリウッドが無邪気を装って映画に出来た時代の話でもあり、メイドとママが必死に料理を作る場面から始まり、ママはとにかくパパを怒らせない事を気にしています。幼いトゥイティーは一人で外を駆け回り、氷売りのおじさんの馬車に乗ったり、ハロウィーンの夜は子供たちだけで古家具を燃やして悪魔ごっこをしています。今なら色々とアウト。


ならば、逆に「だからこの時代の映画はさー」と鼻白んで見てもいいくらいなのですが、私が子供の頃から憧れたハリウッド映画の世界はこれがスタンダードだった。後から見れば問題があったとしても、うるさい人が何かを指摘する事なく、表面上は陽気で呑気で、明るい未来しかないおとぎ話を単純に喜んで見ていた時代があった。今は失われてしまった、私のそんな何も知らない時代に戻れない事を改めて思い知らされたような、そんな寂しくも懐かしい感覚があったからかもしれません。


1944年だと第二次世界大戦終結直前で、戦意高揚目的で作られた映画も多く、やたら明るい話、豪華な画面の映画が多いように思います。アメリカにとっては、更にこの古い時代にさかのぼる事で、アメリカの「もっと古き良き時代」という設定だったのかもしれません。


またこの時代の映画が好きなんですよね、私。